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モスクワ エルサレム ベツレヘム シギショアラ ブラショフ ブカレスト マルセイユ モンペリエ.セ-ト
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2019年10月24日(木)    ロシア・モスクワ
旅行行程/予約票  モスクワ2日目
ヨーロッパ/中東旅行(1)ロシア~中東~ルーマニア~マルセイユ回遊
10月24日(木)成田空港からJAL便でロシア・モスクワへ出発。
飛行機 列車・電車 バス.タクシー フェリー船 徒歩 ホテル
ロシア/モスクワ
Moscow
10月24日
成田空港Ⅱターミナル
Moscow
ドモジェドヴォ空港
アエロエクスプレス
Paveletskaya駅
メトロ
Tverskaya駅
Penta Hotel
Moscow Arbat
Israel/Jerusalem
ボリショイバレー
ライモンダ⇒

モスクワ赤の広場/聖ワシリイ大聖堂
10月24日 モスクワ
10月26日 エルサレム
イエス・キリスト「苦難の道」
ヴィア・ドロローサ ⇒
10月28日 ベツレヘム
10月29日 シギショアラ
10月30日 ブラショフ
10月31日 ブカレスト
11月01日 マルセイユ
11月03日 モンペリエ
11月06日 モスクワⅡ


Schedule



2019年10月24日(木) K73歳.M71歳 老夫婦の二人旅。出入国審査が特別厳しいと言われている、 ロシアそしてイスラエル、また独裁政権が倒れた後 国造りの遅れているルーマニアの縦断、老夫婦にはハードルの高い旅に思えるが気合を入れて出発!  

ロシア/モスクワDMEドモジェドヴォ空港
成田空港第二ターミナル/JAL便10:45発~ロシアとは6時間の-時差、現地時間15:00モスクワ(DMEドモジェドヴォ空港)へ到着。飛行時間10時間15分。日本⇔ロシア飛行の費用はJALマイルを利用、サーチャージのみで二人分往復42000円。 

JAL機内おやつ

JAL機内食

前席のV君


モスクワ行の機内はがらがら、4人席を二人で使用がOK、長い飛行中、180°上を向き横になったりとても楽だった。前席は四国・高松からモスクワに嫁いで7年目の方が生後9ヵ月のV君を連れモスクワに帰えるところ、どちらも4人席を独占して、ゆったり、のんびり とてもありがたかった。

モスクワ/ドモジェドヴォ空港
モスクワの2大空港の一つ、DMEドモジェドヴォ空港に到着、高松からモスクワに嫁いだ方は機内持ち込み荷物もいっぱいで、特に重たそうな成田で買ってきたという電気釜の入った包みを持ってあげて、先に入国審査を終えて。到着ロビー入口で待っていると、まもなくビクトル君を抱いて両手に荷物を抱え、四国の方が笑顔で出てくる。元気にロシアでの生活頑張ってくださいと言葉を交わし、迎えに来たロシア人のご主人に挨拶して別れる。
そのあと、ATMで必要最小限の現金8000ルーブル(13600円程)をキャッシング。
入国審査の出入国カード          ドモジェドヴォ空港ATM
入国審査は意外とスムースに終了し出入国カードにサインしてOK。このカードは大切で出国の際必要になるのでしっかり保管しなけばならない。

モスクワ市内へ向かう列車アエロエクスプレスの駅は到着ロビーを出て左に歩くとすぐの所にある。

モスクワ/ドモジェドヴォ空港
アエロエクスプレス(快速列車)は出発前Duo:二人用チケットを購入していた。改札口でチケットのバーコード読みとらせるとゲートが開き一人が入場、扉が閉まりもう一度チケットをかざし二人目が入場する。やり方は出発前予行練習してきた通りで簡単だった。モスクワ中心まで片道2人用Duo=850Rub(\1380)安い。

空港~モスクワ市内/アエロエクスプレス
10月24日 モスクワ
10月26日 エルサレム
イエス・キリスト「苦難の道」
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10月28日 ベツレヘム
10月29日 シギショアラ
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10月31日 ブカレスト
11月01日 マルセイユ
11月03日 モンペリエ
11月06日 モスクワⅡ
帰りモスクワへ
予約.日程
移動.地図
モスクワ市内のアエロエクスプレス終点はPaveletskaya鉄道駅まで乗車。その駅を出て近くのメトロ入口から②号線にPaveletskaya駅へ、とても長~いエスカレーターを下って改札口へ。
チケット売り場でロシア版スイカ「トロイカ.カード」をロシア語のメモを見せて、700Rubチャージしてもらって購入。乗り方はカードをかざし扉が開き一人入場、扉が閉まったら又カードをかざして二人目が入場と簡単。

ロシア版Iスイカ「トロイカ カード」

地下鉄ホームは信じられないほど地下深く降りていく
地下鉄②号線の乗る時は行先を確認、5つ目のTverskaya駅で下車。地下鉄構内の案内板の表示がキリル文字が多くとても見にくい。何度か尋ねてみたが、ロシア人はきつい表情をしているが降りたい駅を持参した路線図を指しながら聞くととても親切に教えてくれた。

24日宿泊モスクワ/Pentahotel Moscow Arbat
地下鉄②号線Tverskaya駅へ無事到着。ホテルまで約2㌔あるが慣れるためにゆっくり歩いて行く。モスクワは横断歩道が少なく反対側に行くのには2か所地下道を渡るので大きなトランクを持って少し大変だった。17時頃Pentahotel Moscow Arbat1126号室チェックイン。

正面にクレムリン
ホテルの部屋で一休みしてすぐ夜のモスクワ街歩きに出発。ホテルを出てまもなく遠くにクレムリンらしき塔が見えてくる。ほとんどの人がそっちに向かって歩いているので迷うことがない。

クレムリン外壁
クレムリンの裏側を城壁に沿って進むと赤の広場入口に出る。

カザンの聖母聖堂
赤の広場に入ると 左にカザンの聖母聖堂、それを背にすると前に巨大なイルミネーションの建物。それはモスクワNo1.グム・デパートだった。

赤の広場に面して グム・デパート
広大な赤の広場を一回りしてボリショイバレー劇場方面へ。
10月24日 モスクワ
10月26日 エルサレム
イエス・キリスト「苦難の道」
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10月28日 ベツレヘム
10月29日 シギショアラ
10月30日 ブラショフ
10月31日 ブカレスト
11月01日 マルセイユ
11月03日 モンペリエ
11月06日 モスクワⅡ
帰りモスクワへ
予約.日程
移動.地図

聖ワシリイ大聖堂
無事ボリショイバレー劇場前に到着。明日はここで観劇予定。
霧雨が舞ってくる、急いでホテルに向かう。

ボリショイ劇場右にツム百貨店
わずか2回だがモスクワ市内の道に慣れ、迷わずホテルへ戻ってくる。
Mは少し寒気がするというので風邪ではないかと熱いコーヒー入れてあげる。

Penta Hotel Moscow Arbat ツインルーム
もうモスクワ時間では22:00時、日本時間は早朝4時。昨日成田を午前出発してからずっとの移動で二人とも少し疲れてきた。明日は夜遅くまで予定がつまっているので早く寝て体力温存だ。
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2019年10月25日(金)    ロシア・モスクワ2日目
モスクワ1日目   イスラエル/エルサレム
ロシア/モスクワ
Moscow2日目
10月25日
Penta Hotel
Moscow Arbat
クレムリン
ノヴォデヴィチ
女子修道院/白鳥の湖
赤の広場
ボリショイバレー
Penta Hotel
Moscow Arbat
SkyPoint Hotel
SVO Airport
NEXT
Israel/Jerusalem

Penta Hotel Moscow Arbat 面白い照明の廊下
10月24日 モスクワ
10月26日 エルサレム
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10月30日 ブラショフ
10月31日 ブカレスト
11月01日 マルセイユ
11月03日 モンペリエ
11月06日 モスクワⅡ
帰りモスクワへ
予約.日程
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2日目の朝。
Penta Hotel Moscow Arbat3階レストランで朝食。 
近くのテーブルに仕事による渡航らしい日本人男性グループ。

Penta Hotel朝食
明日はイスラエルに早朝出発のため今夜はSheremetyevo空港近くのホテルに宿泊予定。
今夜遅くバレー観劇後タクシーでホテルを移動するので、朝は出発前にチェックアウトし荷物を預け、23時頃ホテル前迎えのタクシーをフロントで手配してもらって、街歩きに出発。

Penta Hotel Moscow
モスクワ2日目、今日一日の予定は、午前中モスクワ郊外のノヴォデヴィチ女子修道院「白鳥の湖」~午後はクレムリン周辺散策。夜はボリショイバレー観劇の予定。

スタートは、すでにすっかり慣れてきた道をクレムリン方向へ歩きはじめる。
ホテルから20分くらいで名門そうな学校の前を通ってボリショイ劇場前に到着。

ボリショイ劇場
ボリショイ劇場前のマルクス像を抜けて赤の広場方面へ

カール・マルクス像
カール・マルクスは、ドイツ・プロイセン王国出身の哲学者、思想家、経済学者、革命家。社会主義および労働運動に強い影響を与えた。
昨夜は賑やかなイルミネーションが綺麗だったニコリスカヤ・ウーリツァ通り
10月24日 モスクワ
10月26日 エルサレム
イエス・キリスト「苦難の道」
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10月28日 ベツレヘム
10月29日 シギショアラ
10月30日 ブラショフ
10月31日 ブカレスト
11月01日 マルセイユ
11月03日 モンペリエ
11月06日 モスクワⅡ
帰りモスクワへ
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グム百貨店横を ヴェトシュニ・ペレウロク通り(Vetoshnyy Pereulok)通って赤の広場へ


カザンの聖母聖堂

ヴァスクレセンスキー門

マネージュ広場のロシア道路元標(ヌレヴォイ・キロメトル)
赤の広場からヴァスクレセンスキー門抜けると足元にロシア道路元標があり、そこで後ろ向きになってコインを投げるとここにまた戻ってこれると言い伝えがあるらしく並んでコイン投げをしてる。

Teatral'naya駅
ヴァスクレセンスキー門近くの メトロ2号線Teatral'naya駅入口から①号線のオホトニ・リャト駅ホームへ。
10月24日 モスクワ
10月26日 エルサレム
イエス・キリスト「苦難の道」
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メトロ①号線オホトニ・リャト駅ホームは長~いエスカレーターを下った先。
モスクワ地下鉄の概要
現在12路線(196駅327.5km)で運行しているモスクワ地下鉄は、旧ソ連時代の「国家5ヵ年計画」により建設が進められ、運営はモスクワ市地下鉄公社が担当している。最初の建設計画は1931年に決定され、1932年に着工された。最初の開通は1935年5月、1号線Sokoljniki ~ Park Kuljtury 間9.5km及びその分岐線(3号線)Kaliniskaya(現Arbatskaya)~ Smolenskaya 間2.1kmの合計11.6kmであった。
計画にあたっては、ロンドン、ニューヨーク、パリ、ベルリンの各地下鉄からの技術支援を得たが、設計と建設は旧ソ連の技術者により行われた。全長19.3kmの路線である。当初、環状線の計画はなかったが、2号線と3号線の開業に伴い、市中心部の乗換駅での混雑が顕在化したため建設されたものである。地下鉄建設は第2次大戦中も続行され1954年に完成した。1990年代までは資金不足のため建設はあまり進まなかった。
列車の平均速度(駅停車時間含む)も41km/hと速い。世界でも有数の高頻度運行を実施しており、ピーク時の運行間隔は90秒/時間で運行している。豪奢な駅の建築・装飾で知られるモスクワ地下鉄であるが、地下深くに建設された駅が多いため、エスカレーターは毎分60mと日本の約2倍の速度がある。地下鉄シェアはモスクワの全交通量の57% と非常に高く、世界有数の年間輸送人員を誇っている。車内放送は、郊外から市中心部に向かう列車は男性の声で、市の中心部から郊外に向かう列車は女性の声(環状線では右回りが男性の声、左回りは女性の声)でアナウンスされる。
メトロ①号線Sportivnayaスポルティーブナヤ駅で下車。

メトロ①号線portivnaya駅
駅からノヴォデヴィチ女子修道院まで歩いて約10分。
修道院裏側にチャイコフスキーが白鳥の湖を作曲するにあたって構想を練ったと言われる池が広がっている。
小さな池という感じで白鳥はいなかったがカルガモが優雅に浮いていた。
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"白鳥の湖"帰りの道すがら見上げた空に見事なひこうき雲。メトロ①号線に乗って赤の広場に戻ってくる。

聖ワシリイ大聖堂

赤の広場
好天の赤の広場でひとときのんびり散歩。一番奥に可愛い尖塔の聖ワシリイ大聖堂、左側にグム百貨店、右側にクレムリン。モスクワというよりロシアのランドマークが集まっている心臓部。
ロシア人家族にシャッターを頼まれてその後こっちもお願いして大聖堂を背に記念撮影
グムデパートに初めて入る。ロシア一番の百貨店らしく豪華な内装で入口ではセキュリティーチェックを受けて入場する。これも初めての経験。
一回りして早めの夕食に口コミの多かった3階のレストラン「Stolovaya 57」へ。

GUMデパート3階「Stolovaya 57」
人気店らしく30分くらい並んで待って入店。入口でトレーにナイフ.フォーク.スプーン.紙ナプキンを乗せてから料理の並んだいくつものケースから好みの料理をお願いしてトレーに乗せていき、最後のレジで清算し空いているテーブルを探して着席。
K&M別々のトレーで一緒に清算。ビールや飲み物含めて1900LB(3200円)安い.....が味が今ひとつで だいぶ残してしまって、Mから「取り過ぎよもったいない」と小言をもらう。
ボリショイ劇場は19時からの開演でまだ時間があってデパートで時間をつぶす。

ボリショイ劇場(Historic Stage)
モスクワ/ボリショイバレー/ライモンダ (Raymonda)⇒
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18時開門、インターネットで購入したチケット提示して入場。エレベーターで4Fに上がり階段を一つ下ってクロークへ上着帽子を預ける。
クローク前で日本人ご夫婦や一人旅の女性と顔を合わせる。一人旅の女性は偶然同じボックス席。
開演前ボックス席に入る。3列の真ん中席(二人で15000LB=25500円)。一人旅の彼女は最前列。
1列の違いだが値段は相当違っていたはず。奮発したんだ!
ライモンダ
あらすじ
シヴィリ伯爵夫人の姪、美女と名高いライモンダの誕生祝いの席、婚約者のジャンがスカーフを贈る。 ハンガリー王アンドレ二世と十字軍に出征するジャンを見送ったあと、ライモンダが彼を想いながら部屋でひとりリュートを弾いていると、ドリス邸の危機に現れるという「白い貴婦人」が現れ、ジャンの幻を見せる。ライモンダがジャンの幻と踊っていると、見知らぬ男が現れライモンダに求愛する。飛び起きるとすべては夢であった。
パーティの夜、夢に現れた男がライモンダに熱烈に求愛する。 サラセンの王子アブデラフマンだった。ライモンダは相手にしないが、ジャンが帰還し、婚約者を賭けてアブデラフマンと決闘する。勝ったジャンとライモンダは、アンドレ二世の前で結婚式を挙げる。
ロシアを代表するバレエ、オペラ劇場「ボリショイ」とはロシア語で「大きい」を意味し、単純には「大劇場」。ロシア国内のいくつかの都市には複数の劇場が存在し、大きなものをボリショイ劇場と呼び、小さいものをマールイ劇場と呼ぶ慣習がある。今日はボリショイ劇場の本館(Historic Stage)

帝政時代(1856年)ボリショイ劇場 by.Wikipedia
演目はなじみの薄い/モスクワ/ボリショイバレー/ライモンダ (Raymonda)⇒
2度の休憩を挟んで3時間の公演。休憩時間に一人旅の女性とはなしが弾んだ。仕事で来ていて航空券はチャイナエアラインだ羽田~北京経由~モスクワで中国人団体に挟まれた9時間が地獄のようだったと話していた。明日はサンクトペテルブルクに行って明後日モスクワに戻り滞在ご帰国とか。イスラエルにも渡航経験があり参考になる話が聞けて良かった。
バレー観劇が終わり夜の道を歩いてホテルに戻る。朝出るときフロントで今夜の空港までのタクシー手配をお願いし、荷物を預け出かけていた。フロントでタクシーの予約時間の22:30に荷物を受け取りタクシーの到着を待つ。間もなく連絡が入り 急いで下の駐車場に降りる。予約の際料金が2000LBと説明を受けていたのでドライバーに代金を出すと駐車料金が入るので2300LBという、約束と違うので頑として拒否。駐車料金のレシートを見せて懸命に説明する、時間もないし、しょうがない割増支払いしてして乗車。
タクシーで一時間弱で今夜の宿SkyPoint Hotel Sheremetyevo Airportへ到着 
23:30チェックイン。シャワーに入ってすぐ休む
10月24日 モスクワ
10月26日 エルサレム
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11月03日 モンペリエ
11月06日 モスクワⅡ
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10月26日早朝4:00起床ラジオ体操して5:00朝食。
モスクワ・スカイポイントホテルは24時間の空港シャトルバスサービスがあり朝食後チェックアウトしてバスで6時に空港Dターミナルへ。
モスクワ/シェレメーチェヴォ(SVO)空港でアエロフロートカウンターでへ搭乗手続き。混雑で1時間もかかってやっと順番がくる。カウンターの中年女性係員の好意でが足元の広い非常口座席を取ってくれた!ラッキー
初めて乗るアエロフロート機はモスクワ(SVO-Terminal:D)8:50~13:00テルアビブ(TLV)へ 航空運賃\22250x2=44500円とても安い。
出国手荷物検査も問題なく通過して25番ゲートに向かう。
搭乗は25番ゲート
イスラエル・テルアビブ空港へ4時間少々の飛行の直行便。途中一度昼食が出る。
非常口席は万が一の場合の取り決めがあってアテンダントから協力を確認をされる。

思いっきり足が伸ばせるこの広さ。
あと数時間でキリストの足跡の残るエルサレムへ
   
旅行行程/予約票 イスラエル/エルサレム
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2019年10月26日(土)    イスラエル・エルサレム
ロシア/モスクワ   パレスチナ/ベツレヘム
西欧/中東旅行(3)モスクワからイスラエル/テルアビブ空港へ。
シャトルバスでイエスキリストの終焉の地エルサレムへ入る
飛行機 列車・電車 バス.タクシー フェリー船 徒歩 ホテル
イスラエル/エルサレム
Jerusalem
10月26日(土)
モスクワ空港
イスラエルテルアビブ
Ben Gurion Airport
アッザーラ ホテル
NEXT
ベツレヘム
Bethlehem
イエス・キリスト
十字架を背負って歩いた

「苦難の道」
ヴィア・ドロローサ ⇒

ゴルゴタの丘があったとされる場所にあるイエス・キリストの墓
10月24日 モスクワ
10月26日 エルサレム
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10月26日 午後13時 イスラエル・テルアビブ(Ben Gurion Airport)空港へ到着。

到着階から見えるBen Gurion Airport T3 出発階
テルアビブ空港は激しい政情の国とは思えない程近代的で綺麗な印象。
しかしこの通路を抜た先に、評判の厳しい入国審査場(Immigration)だ。

到着階通路先の入国審査場へ
世界一厳しいと噂の入国審査場はすごい行列。やはり評判通り厳しいのだろう。
外務省イスラエル
出入国安全情報
イスラエルでは入国に際して,旅券にイスラエルを対立国としているアラブ諸国の査証,入国スタンプがあると,セキュリティー・チェックが更に厳しくなる場合があります。
空港からの入国の場合は,原則として旅券に出入国スタンプは押されなくなりました。その代わり,入国カードが発行されますので,滞在中はこのカードを必ず携行してください。仮に旅券にイスラエルの査証,出入国スタンプが押されている場合,イスラエルと国交がないアラブ,イスラム諸国では入国を拒否されます。

イミグレーション(入国審査場)

   イスラエル入国カード
30分ほど待ってやっと順番が来る。しかしあっけないほど、質問もほとんどなくパスポートからスキャンした入国スタンプ代わりのブルーのカードを渡され完了。
このカードは出国の時必要になるので大切に保管する必要がある。

到着ロビー

到着ロビーのATMで400ILS(シェケル)12600円ほどをキャッシング。
シャトルバスに乗る。ホテルのメモ見せ乗車。乗客を希望の場所に途中降ろしながら10人中最後になってやっとホテル近くに到着1時間半もかかってすっかり車酔いしてしまう。 ドライバーに料金67x2=134ILS(4200円)支払う。

エルサレム:AzzahraHotel
エルサレム:AzzahraHotel チェックイン。    2泊朝食込み32000円。
部屋は2階の3号室。4ベッドのファミリールームでバスタブもあって最高。
一休みして早速エルサレム街歩きに出発。
10月24日 モスクワ
10月26日 エルサレム
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エルサレム聖地歩きルート⇒

新門

ダマスカス門から城内へ迷路のような石畳の道を足のおもむくまま気の向くままにあっちへこっちへ迷いながら歩く。

ダマスカス門

ダビデの塔
イエスが十字架を背負って歩いたヴィア・ドロローサの出発点とされている、ピラト総督官邸は、歴史家、考古学者の多くがアントニオ要塞ではなく、ここダビデの塔が建てられているヤッフォ門の傍らにあったと推定している。イエスの時代にイエスの墓地があった場所もダマスコ門の北側であるため、イエスの墓もその墓地にあったと考えられている。
世界遺産「エルサレム旧市街とその城壁群」

スーク......スークはアラビア語で「マーケット」
城壁内から入ってきたダマスカス門を見つけて20分ほど歩いてホテルに戻る。

オリーブの実がいっぱい乗ったビザ
ホテルレストランに19:00予約していた。ホテル名物のピザを注文。Lサイズを頼むとこの大きさにびっくり。



エルサレム/2日目
エルサレム/2日目


10月24日 モスクワ
10月26日 エルサレム
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11月01日 マルセイユ
11月03日 モンペリエ
11月06日 モスクワⅡ
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キリストが十字架に架かけられたゴルタゴの丘があったとされる「聖墳墓教会」は事前調査では相当な混雑だそうなので 5時頃 目が覚めすぐ早起き支度して見学に出かける。
6時頃の旧市街は昨日のあのものすごい雑踏がなく、静かすぎて不気味なくらい。
聖墳墓教会
6時過ぎ教会入口に着く。こんな朝早くから沢山の参拝信者。

「塗油の石」
厳粛な気持ちで聖墳墓協会入口を入るとすぐにあるのが、「スターバト・マーテル」祭壇で十字架から降ろされるイエスの遺体を両手で受け止めた母マリアにささげられている。そしてその下の床に「塗油の石」イエスの遺体が十字架から下された後に、この石の上に横たえられ香油がぬられた場所。
階段を上がるとゴルダゴの丘で十字架が建てられた場所。
第11留 十字架が立てられた場所

キリストの墓
キリストの墓前でしばらくたたずんでから感慨を心にしまって、滞在中またくるであろう教会を後にする。

キリストの時代から続いているような市場/スーク
ホテルに戻って朝食。休憩して街歩きに出る。
10月24日 モスクワ
10月26日 エルサレム
イエス・キリスト「苦難の道」
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11月06日 モスクワⅡ
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エルサレムの街の風景にそぐわな新型トラム
ユダヤ教の聖地「嘆きの壁」に向かう。入口で手荷物のX線検査と金属探知機による検査を受けて場内へ
嘆きの壁に向かう。入口で手荷物のX線検査と金属探知機による検査を受けて場内へ。

キッパ着用の
トランプ大統領
嘆きの壁 別名「西の壁(Western Wall)」左が男性、右が女性に祈る場所が分けらている。
嘆きの壁では異教徒にもキッパという小さな帽子の着用が義務付けられている。壁近くで貸出しているが信者でもないのにはばかれて遠くから見学するだけにする。

嘆きの壁/左が男性.右が女性分けられた祈る場所
嘆きの壁ではたくさんのイスラエル兵が警備している。その先にへ「岩のドーム」がそびえている。
嘆きの壁 先上に「岩のドーム」
岩のドーム(いわのドーム、アラビア語クッバ・アッサフラは、東エルサレムにある、カアバ、預言者のモスクに次ぐイスラム教の第3の聖地であり、「神殿の丘」と呼ばれる聖域となっている。現在はイスラム教徒の管理下にあるが、南西の壁の外側の一部だけが「嘆きの壁」としてユダヤ教徒の管理下にある。7世紀末に完成した集中式平面をもつ神殿である。 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教にとって重要な関わりを持つ聖なる岩を祀っている。それゆえ、このドームはその神聖な岩を覆った記念堂であり、礼拝所としてのモスクではない。刻まれた240mに及ぶ碑文では、イエスの神性を否定はするものの、預言者であることを認めている。 By-Expedia
10月24日 モスクワ
10月26日 エルサレム
イエス・キリスト「苦難の道」
ヴィア・ドロローサ ⇒
10月28日 ベツレヘム
10月29日 シギショアラ
10月30日 ブラショフ
10月31日 ブカレスト
11月01日 マルセイユ
11月03日 モンペリエ
11月06日 モスクワⅡ
予約.日程
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「岩のドーム」
イスラム教の先達ともいうべきユダヤ教、キリスト教の一神教をはぐくんだ聖地エルサレムは、イスラム教勃興以後、イスラム勢力が政権を握り、多くのイスラム教徒が他の一神教と共存するようになった。しかし、これら三つの一神教によるエルサレムを巡る紛争に象徴されるように、この土地は宗教間の対立が絶えなかった。 岩のドームはかつてのエルサレム神殿内にあり、建設はウマイヤ朝第5代カリフであるアブドゥルマリクが685年から688年の間のいつの時点かに建設を思い立ったことに始まり、688年に着工した。当時、イスラム最高の聖地メッカはアリー・イブン=アビー=ターリブ(第4代正統カリフ・アリー)を支持するイブン・アッ・ズバイルによって制圧されており、それが岩のドーム建設の直接の動機であったと推察される。 建物は、預言者ムハンマドが夜の旅(イスラー)に旅立ち、また、アブラハムが息子イサクを犠牲に捧げようとした場所と信じられている「聖なる岩」を取り囲むように建設され、692年に完成した。外部は大理石と美しい瑠璃色のトルコ製タイルによって装飾されているが、これは1554年にオスマン帝国のスレイマン1世の命によって建築家ミマール・スィナンが貼り直したもので、かつては樹木や草花、建物を画いたガラス・モザイクであった。ドーム部分は内部装飾も含めて11世紀に再建されたものだが、これはほぼ創建当時のままのデザインである。 By-Expedia
今日も一日エルサレムを歩き尽くしてホテルで名物のピザで夕食。今夜はマルゲリータ。


ヴィア・ドロローサ Via Dolorosa「苦難の道」

イエス・キリストが十字架を背負って歩いた道
ヴィア・ドロローサ Via Dolorosa「苦難の道」 By-Expedia
イスラエル
エルサレム
10月28日
エルサレム
オリーブ山
ライオン門
ヴィア・ドロローサ
Hotel
2019年10月28日エルサレム最後の日、オリーブ山に登ってその後イエス・キリストが十字架を背負って歩いた「ヴィア・ドロローサ」を歩く
Via Dolorosa「苦難の道」は、新約聖書の四つの福音書の記述やキリスト教の伝承などから想定されるイエス・キリストの最後の歩みのこと。いずれの福音書でも、イエスは総督ピラトの官邸から刑場のあるゴルゴダの丘までの道のりを十字架を背負って歩いたとされている。ヴィア・ドロローサという名称は、その道中に味わったイエスの苦難を偲んで名付けられている。
イエスの処刑からおよそ二千年後の現在の地理上では、ヴィア・ドロローサの始発点はエルサレム旧市街北東のイスラム教地区にあるライオン門付近、終着点は旧市街北西のキリスト教地区の聖墳墓教会内にあるイエスの墓に相当する。始発点と終着点を含めた計十四箇所に留(りゅう)と呼ばれる中継点が設けられている

ヴィア・ドロローサ「苦難の道」
第1留 -ピラト総督に裁かれる 
第1留 は現在、男子校の敷地となっている場所にあり、16世紀以来ヴィア・ドロローサの始発点に定められている。この場所は神殿の丘の北側に位置し、第2神殿時代にはアントニオ要塞があった。キリスト教の伝承では、イエスはその要塞の中でピラトに裁かれたとされている。By-Expedia



10月24日 モスクワ
10月26日 エルサレム
イエス・キリスト「苦難の道」
ヴィア・ドロローサ ⇒
10月28日 ベツレヘム
10月29日 シギショアラ
10月30日 ブラショフ
10月31日 ブカレスト
11月01日 マルセイユ
11月03日 モンペリエ
11月06日 モスクワⅡ
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第1留 -ピラト総督に裁かれる 

『ヨハネによる福音書』
18:28~18:33
人々は、イエスをカイアファのところから総督官邸に連れて行った。明け方であった。しかし、彼らは自分では官邸に入らなかった。汚れないで過越の食事をするためである。そこで、ピラトが彼らのところへ出て来て、「どういう罪でこの男を訴えるのか」と言った。 彼らは答えて、「この男が悪いことをしていなかったら、あなたに引き渡しはしなかったでしょう」と言った。 ピラトが、「あなたたちが引き取って、自分たちの律法に従って裁け」と言うと、ユダヤ人たちは、「わたしたちには、人を死刑にする権限がありません」と言った。それは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、イエスの言われた言葉が実現するためであった。 そこで、ピラトはもう一度官邸に入り、イエスを呼び出して、「お前がユダヤ人の王なのか」と言った。By-Expedia
第2留 -有罪に定められ、鞭で打たれる
第2留 -有罪に定められ、鞭で打たれる
 

『ヨハネによる福音書』
19:1~19:17
そこで、ピラトはイエスを捕らえ、鞭で打たせた。 兵士たちは茨で冠を編んでイエスの頭に載せ、紫の服をまとわせ、 そばにやって来ては、「ユダヤ人の王、万歳」と言って、平手で打った。 ピラトはまた出て来て、言った。「見よ、あの男をあなたたちのところへ引き出そう。そうすれば、わたしが彼に何の罪も見いだせないわけが分かるだろう。」イエスは茨の冠をかぶり、紫の服を着けて出て来られた。ピラトは、「見よ、この男だ」と言った。 祭司長たちや下役たちは、イエスを見ると、「十字架につけろ。十字架につけろ」と叫んだ。ピラトは言った。「あなたたちが引き取って、十字架につけるがよい。わたしはこの男に罪を見いだせない。」 ユダヤ人たちは答えた。「わたしたちには律法があります。律法によれば、この男は死罪に当たります。神の子と自称したからです。」 ピラトは、この言葉を聞いてますます恐れ、 再び総督官邸の中に入って、「お前はどこから来たのか」とイエスに言った。しかし、イエスは答えようとされなかった。 そこで、ピラトは言った。「わたしに答えないのか。お前を釈放する権限も、十字架につける権限も、このわたしにあることを知らないのか。」 イエスは答えられた。「神から与えられていなければ、わたしに対して何の権限もないはずだ。だから、わたしをあなたに引き渡した者の罪はもっと重い。」そこで、ピラトはイエスを釈放しようと努めた。しかし、ユダヤ人たちは叫んだ。「もし、この男を釈放するなら、あなたは皇帝の友ではない。王と自称する者は皆、皇帝に背いています。」ピラトは、これらの言葉を聞くと、イエスを外に連れ出し、ヘブライ語でガバタ、すなわち「敷石」という場所で、裁判の席に着かせた。 それは過越祭の準備の日の、正午ごろであった。ピラトがユダヤ人たちに、「見よ、あなたたちの王だ」と言うと、 彼らは叫んだ。「殺せ。殺せ。十字架につけろ。」ピラトが、「あなたたちの王をわたしが十字架につけるのか」と言うと、祭司長たちは、「わたしたちには、皇帝のほかに王はありません」と答えた。 そこで、ピラトは、十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した。こうして、彼らはイエスを引き取った。 イエスは、自ら十字架を背負い、いわゆる「されこうべの場所」、すなわちヘブライ語でゴルゴタという所へ向かわれた。 By-Expedia
第2留 -有罪に定められ、鞭で打たれる

『マタイによる福音書』
27:15~27:26
ところで、祭りの度ごとに、総督は民衆の希望する囚人を一人釈放することにしていた。その頃、バラバ・イエスという評判の囚人がいた。ピラトは人々が集まってきた時に言った。「どちらを釈放してほしいのか。バラバ・イエスか。それともメシアといわれるイエスか。」人々がイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである。一方、ピラトが裁判の席に着いているときに、妻から伝言があった。「あの正しい人に関係しないでください。その人のことで、わたしは昨夜、夢で随分苦しめられました。」しかし、祭司長たちや長老たちは、バラバを釈放して、イエスを処刑に処してもらうようにと群衆を説得した。そこで、総督が、「二人のうち、どちらを釈放してほしいのか」と言うと、人々は、「バラバを」と言った。ピラトが、「では、メシアといわれているイエスの方は、どうしたらよいか」と言うと、皆は、「十字架につけろ」と言った。ピラトは、「いったいどんな悪事を働いたというのか」と言ったが、群集はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び続けた。ピラトは、それ以上言っても無駄なばかりか、かえって騒動が起こりそうなのを見て、水を持ってこさせ、群衆の前で手を洗って言った。「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ。」民はこぞって答えた。「その血の責任は、我々と子孫にある。」そこで、ピラトはバラバを釈放し、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。

------この記述を根拠にユダヤ人は以降二千年近くの間、キリスト教社会において「メシア殺し」の誹りを受けることになるのである。また、上記一文は反ユダヤ主義の絶好の口実として用いられている。イエスの死についての責任がユダヤ人にはないことをカトリック教会が公式に宣言したのは、1962年から1965年にかけて開催された第2バチカン公会議でのことである。By-Expedia
10月24日 モスクワ
10月26日 エルサレム
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10月28日 ベツレヘム
10月29日 シギショアラ
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スーク(アラビア語でマーケット)を抜けて3留へ
第3留 -最初に倒れた場所-

ライオン門からはじまるヴィア・ドロローサはライオン門通りを西へと伸びてエッケ・ホモ・アーチを潜った後、エル・ワド通りと交わる角で南へと向きを変える(左折する)。エル・ワド通りは神殿の丘とシオン山に挟まれた谷底に相当し、フラウィウス・ヨセフスの文献では「チロペオン」と名付けられている。また、アエリア・カピトリーナの建造に際しては、都市計画のカルド(南北の軸=メインロード)に次ぐ二番目の大通りに位置づけられていた。By-Expedia
10月24日 モスクワ
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第4留 -悲しむ母マリアと出会う-

この場所でイエスは母マリアと遭遇した1881年に建てられた「苦悩の母マリア教会の前では、多くの信者がマリアの悲しみを慮って祈りを捧げている。
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イエス・キリスト「苦難の道」
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第4留 -悲しむ母マリアと出会う-

第5留 -キレネ人シモンが
イエス・キリストを助ける-


第4留を過ぎたところでヴィア・ドロローサは再び西へと向きを右に変える。ここからゴルゴダの丘へと向かうヴィア・ドロローサ通りの階段状の緩やかな上り坂を登るのだが、その交差点の傍らに、イエスに代わって十字架を担いだキレネ人シモンを記念する第5留がある。
「人々はイエスを引いて行く途中、田舎から出て来たシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた」-『ルカによる福音書』 23:26  By-Expedia 


10月24日 モスクワ
10月26日 エルサレム
イエス・キリスト「苦難の道」
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10月28日 ベツレヘム
10月29日 シギショアラ
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第5留 -キレネ人シモンがイエスを助ける-
第6留 -ベロニカがイエス・キリストの顔を拭く-

第6留のシンボルは壁に埋め込まれた石柱である。伝承によれば、この場所にベロニカの住居があったという。ベロニカはイエスの顔を拭うために布を持って家から出てきたのだが、このとき用いた布にイエスの顔が浮かび上がり、「ベロニカのベール」として後世に語り継がれることになった。また一説では、ベロニカは共観福音書に登場する出血性の病に冒されていた女性と同一人物であると見なされている。
「すると、そこへ十二年間も患って出血が続いている女が近寄って来て、後ろからイエスの服の房に触れた。「この方の服に触りさえすれば治してもらえる」と思ったからである。-『マタイによる福音書』 9:20~9:21 」 By-Expedia 
第6留 -ベロニカがイエスの顔を拭く-

第7留イエスが手をついた
第7/Ⅶ留 -二度目に倒れた場所-

第7留はヴィア・ドロローサ通りとハーン・アル=ザイト通りとの交差点にあり、スーク(市場)の只中に位置している。ここではイエスが二度目に倒れた場所、および「裁きの門」が記念されている。ハン・アル=ザイト通りはアエリア・カピトリーナの時代はカルドであった。現在、イエスの十字架と墓が置かれている聖墳墓教会、すなわちゴルゴダの丘はエルサレム旧市街の城壁内にあるのだが、イエスの時代には城壁の外にあった。フラフィウス・ヨセフスによれば、当時のエルサレムには第2城壁があり、紀元1世紀の四十年代にはアグリッパ1世によって第3城壁が建造されている(ゴルゴダの丘は第2城壁と第3城壁の間にある)。キリスト教の伝承では、イエスの時代、第7留の場所(第2城壁の西側壁中央)には「裁きの門」と呼ばれるゴルゴダの丘へとつながる門があり、この上で死刑囚に対する罪状が読み上げられていた。もちろん、イエスの場合も同様に行われたという   By-Expedia


10月24日 モスクワ
10月26日 エルサレム
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第7留 -二度目に倒れた場所-
第8留 -イエス・キリストがエルサレムの婦人たちに語りかける-

ハーン・アル=ザイト通りを南進すると、すぐにアル=ハンカ通りとの交差点があるので右折する。すると南側に聖カラランボスの名が冠せられたギリシア正教の教会がある。この教会の壁に、第8留のシンボル、すなわちラテン十字とギリシア語で「勝利者イエス・キリスト」という言葉が刻まれた石がある。
「法廷の門」を背後にしていることから、イエスの時代、この場所はエルサレムの城壁外にあった。よって、イエスの苦難を見て嘆き悲しむ婦人たちとの間のエピソードは野道で行われたことになる。

「民衆と嘆き悲しむ婦人たちが大きな群れを成して、イエスに従った。イエスは婦人たちの方を振り向いて言われた。「エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け。人々が、『子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことがない乳房は幸いだ』という日が来る」
-『ルカによる福音書』 23:27~23:29    By-Expedia
   
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第8/Ⅷ留 -イエスがエルサレムの婦人たちに語りかける-

第9/Ⅸ留 -三度目に倒れた場所-

スークを南進すると、西へ向かう上り階段の通路が右側に見える。その通路の奥にコプト正教会のエルサレム総主教座の置かれた聖アンソニー教会があるのだが、施設の外壁を支える柱のひとつが第9留のシンボルである。第9留は、この場所でイエスが三度目に倒れたとする伝承に基づいて設置されている。
イエスが三度目に倒れたとされる場所は当初、聖墳墓教会の中庭に定められていたのだが、そこにあった石には十字架が落下した際についたと伝えられる打痕が残されていた。しかし16世紀以降にその石の所在が不明になったため、聖アンソニー教会に留が移されることになった。 この場所から聖墳墓教会の屋根裏に入ることができる。そこはデイル・アル=スルタン(エチオピア正教の修道会)の区画になっており、この区画を通って聖墳墓教会の中庭に降り第10留に向かう。  By-Expedia 
第9留 -三度目に倒れた場所-
第10/Ⅹ留 -衣服を剥ぎ取られる-

第10留は聖墳墓教会に隣接しているものの、唯一建物の外部に独立した聖堂が置かれている。階段を上った聖堂からは、教会の二階にある第11留を見ることができる。この留は、イエスの衣服をくじで分け合ったとされるローマ兵の逸話に由来している。
-『マタイによる福音書』 27:35~27:36 「 彼らはイエスを十字架につけると、くじを引いてその服を分け合い、そこに座って見張りをしていた」
十字軍の時代はこの聖堂から階段を通って直にゴルゴダの丘(第11留)に登ることができたという。しかし1187年にイスラム教徒によって通路は寸断されて窓に改装されたそうである。聖堂ではイエスの母マリアと洗礼者ヨハネに祈りが捧げられている。   By-Expedia 
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1925年の第10留
第10留 -衣服を剥ぎ取られる-
第11/Ⅺ留 -十字架が立てられる-

第11留は聖墳墓教会内にあるゴルゴタの丘の(場内から向かって)右側に設置されており、フランシスコ会の管轄下にある。壁によって隔てられる以前は、第10留から第11留への移動には数段の段差を上るだけですんだのだが、現在のところは一旦地上に降り、教会に入場してから改めてゴルゴダの丘に上る必要がある。 純銀製の祭壇は1588年にメディチ家のフェルディナンド1世から寄進されたものである。礼拝堂の現在の装飾は1937年にアントニオ・バルルッチによって改修されている。天井の中央には、十字軍の時代に制作されたモザイク画がかろうじて残されており、そこにはイエスの肖像が描かれている。それ以外のモザイクは、天井をP・ダッチアルディ、壁面をL・トリフォグリオが担当しており、両者とも、十字架に釘で打ち付けられるイエス、十字架の下でたたずむ婦人たち、イサクの燔祭をモチーフに選んでいる。イサクの燔祭は、キリスト教では伝統的にイエスの十字架刑の予兆、暗示と見なされている。それは、アブラハムがひとり息子のイサクを生贄として捧げなければならなかったのと同じように、神もまた、人類の罪を購うためにひとり息子のイエスを捧げたという神学に基いている。十字架に掛けられるイエスは以下のように描写されている。
-『ルカによる福音書』 23:33~23:34
「されこうべ」と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。 〔そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」〕人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。  By-Expedia 
第11留 -十字架が立てられる-
第11留~14留は聖墳墓教会内にある
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聖墳墓教会
第12留 -イエス・キリストの死-
第12留 -イエス・キリストの死-
第12留はゴルゴダの丘の左側に設置されており、そこでイエスが息を引き取ったことを物語っている。現在はギリシア正教会の管理下にあり、祭壇の足元には十字架が立てられたとされるくぼみのある場所を厳密に示すために銀製の円形プレートが置かれている。また、イエスと共にふたりの犯罪人が十字架に掛けられたとされる場所(祭壇の両脇)には黒いプレートが置かれている。巡礼者の多くは長時間ここで足を止めるのだが、それはゴルゴタの丘の岩盤が露出しているくぼみの箇所を直に触れることができるからである。この岩盤には、イエスが死んだ際に発生した地震によってできたとされる亀裂が走っている。
-『マタイによる福音書』 27:45~27:54
さて、昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。 三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。 そこに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「この人はエリヤを呼んでいる」と言う者もいた。 そのうちの一人が、すぐに走り寄り、海綿を取って酸いぶどう酒を含ませ、葦の棒に付けて、イエスに飲ませようとした。 ほかの人々は、「待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」と言った。 しかし、イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。 そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、 墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。そして、イエスの復活の後、墓から/出て来て、聖なる都に入り、多くの人々に現れた。 百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「本当に、この人は神の子だった」と言った。

キリスト教の伝承では、イエスの血はこの地震によって発生した亀裂を通じて地下に流れ、ゴルゴダの丘に埋葬されたアダムの骨に滴り落ちたとされている。つまり、イエスの血によって、アダムとエバによってもたらされた原罪から人類は清められたというのである。

また、神殿の至聖所と外界を隔てる垂れ幕が裂けたという出来事は、キリスト教徒にとっては神の加護がユダヤ人だけでなく全人類に向けられたことの証と見なされている。それはまた、イエスという至上の生贄を捧げたのを最後に、祭司階級による神事、とりわけ燔祭などに代表される生贄に依存した信仰が終焉したことの象徴とも解釈されている。福音書では物語の序盤、ヨルダン川での洗礼において天からの声によってイエスの神性が宣言されているのだが、物語の終盤、十字架が地に立てられている場面では異教徒であるローマ兵の口からイエスの神性についての告白が見られる。この出来事は、のちにイエスに対する信仰がユダヤ人にではなくローマ兵に代表される異邦人に担わされる先鞭をつけたといえよう。   By-Expedia
第12留 十字架が立てられていた所
第13留 -十字架の下の母マリア-

第13留には「スターバト・マーテル」と呼ばれるフランシスコ会所有の祭壇が置かれており、イエスの母マリアにささげられている。祭壇の傍らには1778年にリスボンより寄進されたマリア像が置かれている。ここでは十字架から降ろされるイエスの遺体を両手で受け止めたマリアの悲しみに焦点が当てられている。
第13留がフランシスコ会によって正式に認定されたのは他の留に比べて遅かったようで、それ以前は、イエスの遺体が十字架から降ろされた後に「塗油の石」と呼ばれる石の上に横たえられて埋葬処置を施されたという出来事が第13留の主題であった。「塗油の石」は聖墳墓教会に入った正面にあるゴルゴタの丘のふもとに置かれている。  By-Expedia



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第13留 -十字架の下の母マリア-
第14留 -イエス・キリストの墓-
第14留 -イエス・キリストの墓-

第14留はイエスの墓とされる場所にある。福音書によれば、イエスの遺体はアリマタヤのヨセフという人物が所有する墓地に埋葬されたという。
-『ヨハネによる福音書』 19:38~19:42 「その後、イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していたアリマタヤ出身のヨセフが、イエスの遺体を取り降ろしたいと、ピラトに願い出た。ピラトが許したので、ヨセフは行って遺体を取り降ろした。 そこへ、かつてある夜、イエスのもとに来たことのあるニコデモも、没薬と沈香を混ぜた物を百リトラばかり持って来た。 彼らはイエスの遺体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んだ。 イエスが十字架につけられた所には園があり、そこには、だれもまだ葬られたことのない新しい墓があった。 その日はユダヤ人の準備の日であり、この墓が近かったので、そこにイエスを納めた。
イエスの墓は現在、ロトンダ(円形建築物)の中央に納められている。石棺自体は切り石を組み合わせて作られた簡素なものなのだが、ビザンチン時代に墓の存在を際立たせるために大理石製のモニュメントが周囲を囲むようになった。ロトンダは1808年に起きた火災により損傷を受けたため、1810年にロシア皇帝アレクサンドル1世の資金提供を受けてギリシア正教会によって修繕されたのだが、その際にロシア皇帝の王冠を模った天蓋が設けられている。
第14留はふたつの部屋に分けられている。ひとつは礼拝施設がある部屋で、もうひとつは石棺が置かれている部屋である。礼拝施設の両脇にはギリシア正教の過越祭にて火を灯すためのふたつの穴が開けられている。また、部屋の中には墓穴の蓋に用いられたとされる円形の石の一部が保管されている。
石棺のある部屋では合計43本のろうそくが昼夜灯されている。43本の内訳はカトリック教会が13本、ギリシア正教会が13本、アルメニア使徒教会が13本、コプト正教会が4本である。石棺には大理石で蓋がされている。この蓋には三つの突起があるのだが、この突起はイエスが死後三日目に復活したという出来事にちなんでいる。 By-Expedia  

第14留 -イエス・キリストの墓-
第14留 -イエス・キリストの墓-

イスラエル3日目 最後の街歩き
10月28日
エルサレム
最後の日


10月24日 モスクワ
10月26日 エルサレム
イエス・キリスト「苦難の道」
ヴィア・ドロローサ ⇒
10月28日 ベツレヘム
10月29日 シギショアラ
10月30日 ブラショフ
10月31日 ブカレスト
11月01日 マルセイユ
11月03日 モンペリエ
11月06日 モスクワⅡ
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10月28日 エルサレムAzzahraHotelで朝食後、テルアビブ空港の出国審査には4時間前空港に着いていた方がいいと聞いていたので18:00に空港シャトルバスを予約する。飛行機は0:30発の深夜便。
チェックアウト時間ぎりぎり12:00までホテルで休み、荷物をまとめフロントに預けてから最後の一日街歩きには出発する、シャトルバスが来る18時までは時間がたっぷりある。

聖母マリア墳墓教会
最後の街歩きはイエス・キリストが最後の晩餐のあとお祈りを捧げたオリーブ山に登る。
登山道に入ってすぐに聖母マリア墳墓教会。
東方教会教徒らによって、イエス・キリストの母マリアが埋葬された場所であると信仰されている。

オリーブ山の広大な墓地
エルサレム郊外オリーブ山は旧約聖書で、最後の審判の日に神が立ち死者がよみがえる場所とされているため、墓地が作られるようになった。第一次中東戦争でヨルダンに占領され、墓地は破壊された。その後第三次中東戦争でイスラエルが奪還して、再び墓地となっている。
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オリーブ山はイエス・キリストが最後のエルサレム滞在中に夜を過ごし弟子たちに説教を行った場所とされ、ルカ福音書では捕えられる前に最後の祈りを捧げた場所とされている。
山道を登りながら、今は平和でのどかな風景だがイエス・キリストがこの山やエルサレムの街をどんな気持ちで歩いたのだろうかと考えると神妙な気持ちになる。
オリーブ山からエルサレム全景
オリーブ山山頂まではホテルから1時間もかからず登ってくる。
山頂からはエルサレムが一望、この風景もイエス・キリストも見たものと同じなのだろうか。
不思議な気持ちになる。

正面に神殿の丘「岩のドーム」
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オリーブ山麓、ゲッセマネの園、「万国民の教会」福音書ではイエス・キリストと弟子たちが最後の晩餐のあと祈りを捧げた場所とされている。
万国民の教会.祭壇前にイエス・キリストが最後に祈った岩

ゲッセマネの園 オリーブの古木
オリーブ山から同じ登山道を下ってライオン門へ。エルサレム最後の最後に、イエス・キリストが十字架を背負って歩いた苦難の道「ヴィアロドロローサ」1留~14留をゆっくり確認しながら辿って歩く。
ヴィアドロローサVia Dolorosa1へ⇒
イエス・キリストと弟子達は最後の晩餐のあと、オリーブ山、万国民の教会で祈りをささげ翌日、このライオン門を入った先の、アントニオ要塞の中でピラト総督に裁かれたとされている。
最後の晩餐が行われた場所ははっきりしないが、西方教会では伝統的にエルサレムのシオンの丘の「ダビデの墓」にある建物の「上の部屋」であるとして保存している。東方教会のコプト正教会では聖マトフェイ修道院で最後の晩餐が行われたとしている。 二つは直線距離で900㍍ほど。どちらが正しいか分からないがいずれにしてもこの辺りであったのだろうか。  
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2017年⇒ ダ・ヴィンチ『最後の晩餐』(サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会)
パレスチナ断定自治区/イエス・キリスト誕生の地ベツレヘムへ
   
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2019年10月27日    パレスチナ・ベツレヘム
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西欧/中東旅行(3)パレスチナ断定自治区 
10月27日イエス・キリスト誕生の地パレスチナ/ベツレヘムへ。
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イエス・キリスト生誕の地 ベツレヘムへ日帰り観光
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日程

東方三博士の礼拝

今日はイエス・キリスト誕生の地ベツレヘムへ出かける。
エルサレム・ダマスカス門の反対側にあるバスターミナルへ。
ベツレヘムへはアラブバス231番で行く。運行時間は決まってなく適当に乗客が乗ったら発車する。
バレスチナ断定自治区/ベツレヘムはエルサレムから直線距離では僅か10㌔程だが壁によって国境が隔たれているため壁を迂回して約40分ほどかかって到着。
ベツレヘムのバス停で全員下車。すぐに数人のタクシードライーバーがすり寄って盛んに勧誘する。
この様子は事前に口コミでたびたび読んで承知していたので一切無視というかやんわり拒否して降誕教会の道を進む。
ゆるやかな坂道を進んで約20分ほどでイエス・キリスト降誕教会前に着く。
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       降誕協会右わきに「謙虚の門」↑
「謙虚の門」と呼ばれる聖誕教会の入り口、高さ120cm程度で控えめで名前の通り謙虚な入口!
「謙虚の門」をこぐって入ると教会内はすごい人込み。それもそのはず信者からすればこんな偉大で神聖は場所はそうないわけだから。しかし、イエスの使徒であるペテロの墓所のバチカンの巨大なサンピエトロ寺院からすれば、こっちの本家本元キリストの降誕教会や聖墳墓協会の小さく質素さはなんなんだろうと考えてしまう。
教会奥のこの先地下にあるがイエス・キリスト誕生した場所と言われている。
イエス・キリスト誕生の場所
降誕教会
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降誕教会お参りのあとバスターミナルへ戻る。

降誕教会前ベツレヘム市街
エルサレムへ帰りのバスは国境で現地人はバスを降りてセキュリティーチェックを受ける。アジア人の自分たちは警備兵にバスポートを提示するだけでOK。

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最後は帰り
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